大切なことは変わり続けるということ。台湾で過ごして7年…まだまだ落ち着きそうにはありません。
皆さんこんにちは。台湾生活7年目いく老師です。
僕が台湾と日本を行ったり来たりするようになって、もう7年の月日が経ちました。
でも、一向に落ち着くような気配がありません。
中国語の勉強
毎年毎年新しいことばかり起こります。最初に来たばかりのころは、
中国語も全くできなかったので、一体どうしたらいいのかと考えていました。
でも、考えるだけの金銭的な余裕もなかったので、とにかく必死で中国語を勉強していました。
日本語塾
中国語が大体話せるようになってから、僕はある日本語塾で働くようになりました。
日本語教師資格は台湾に来る前に、取得済みでした。
その塾では、最初は日本語教師として働いていたのですが、
途中から教科書の作成に関わるようになりました。
そして、いつの間にか、その塾の教務になっていました。
教科書を作りながら、塾講師の面接をして、夜には学生を教えるということを
していました。
いやぁ、お給料も恐ろしく低かったですが、毎日徹夜して授業準備をしていました。
本を出版
そこで毎日自作のプリントを作りながら日本語を教えていると、
ある出版社で働く学生に会いました。
そして、「先生本を書きませんか?」の一言
塾の先生として、塾の教科書を書くのと自分でそこを飛び出して、
自分の名前で本を書くの…いうまでもなく後者の方が魅力的ですよね。
そして僕は次の日にはその塾に辞めることを話していました。
ただ、この幸運は僕が毎日死にそうになりながら、毎日徹夜で授業準備をして、手作りのプリントを配りまくっていたからだと思っています。
出版社でお手伝い
どんどん自分の本をだすぞーっと張り切って書いていたら、その出版社から、本は書いてもいいから海外事業部の方でも手伝ってくれないかと話がありました。
本だけでやっていくのは確かに不安定。まぁ出版社の中も見ることができるし、じゃ、ちょっとやってみるかと海外事業部に入りました。
本は一年に数冊出しているので、もう20冊くらいになります。まぁ、売れるものもあれば、あまり売れないのもあったりですが、何よりも自分のブランディングができていったこと、そしてコンテンツを効率的に出す方法がわかったことが非常におおきい進歩でした。
海外事業部では毎年に数回出張で日本に帰ることもできるようになりました。
またも転機
語学書を10冊程度出したところで気がつきました。
語学書って文字ばっかりなんですよね。でも、学生さんたちは
ネットや動画でたくさんの興味がわくような内容に慣れ親しんでいます。
もっと楽しく語学を教えることはできないだろうか、
文章じゃない方法で、文化を伝えることはできないだろうか。
そう思って始めたのが「漫画」です。
漫画を描き始めて3年が経ちました。その間もずっと本を出版してきました。
そして今年2016年初めてのぼくの漫画を出版することができたのです。
最近では、テレビ出演や、ラジオに出たりなんかもしています。
あぁ…なんてころころと変わる人生なんだろう。
なんて飽きない人生なんだろう。
どんどんと楽しくなっていきます。